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膵臓(すいぞう)がんで7月31日に79歳で亡くなった作家吉村昭さんが、闘病の末に自ら死を決断していたことを、妻で作家の津村節子さんが24日夕刻にあったお別れの会で明かした。ま、
吉村さんは舌がんで昨年3度の放射線治療を受け、今年2月には膵臓がんの手術を受けた。吉村さんが自宅での療養を望んだため、家族が点滴の練習をするなどして、自宅で介護をしていた。
津村さんによると、吉村さんは「ヒグラシが鳴いて(家のそばの)井の頭公園の風が吹いてくるのを喜んでいた」が、死の前日、突然点滴の管の連結部を自分で外し、さらにカテーテルの挿入部をむしり取った、という。遺言状にも、延命治療は望まないと書かれていたため、家族も本人の意思を尊重し、その数時間後に息を引き取ったという。
津村さんは「彼が自分の死を自分で決めることができたのは、彼にとってよかったことではないかと思う」と話したが、「私は目の前で『自決』するのを見てしまったので、彼がまだ書斎にいるとか、取材旅行に出かけているとは思えない。身勝手な人です」とも述べ、涙で声をつまらせた。
吉村さんが最後まで気にかけていたのが、文芸誌に書いた遺稿の小説「死顔(しにがお)」だった。その中では、自らの死期を知った幕末の医師佐藤泰然が高額の医薬品を拒み、食べ物もとらずに亡くなった姿が描かれていた。
●「尊厳死と呼ぶには抵抗」
吉村さんの死の選び方は、では「尊厳死」と呼べるのか。専門家も含みを残す。日本尊厳死協会の高井正文事務局長は「尊厳死とは、終末に至る医療措置の選び方について、患者の意思が明示されている場合、それを最大限尊重したことによってもたらされるもの。医療者の判断も含め、相互の対話を尽くした上でなされなければならない。そういう意味では、自殺とは言えないものの、自ら管を抜く行為をとられた吉村さんの死を『尊厳死』と呼ぶのにはやや抵抗があります」。
今から死ぬよと言って、点滴やカテを自分で外したらしい。
津村さんによると、吉村さんは死の前日の30日夜、点滴の管を自ら抜き、ついで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、直後に看病していた長女に「死ぬよ」と告げたという。遺言状にも「延命治療はしない」と明記していた。
家族は本人の意思を尊重して治療を継続せず、吉村さんはその数時間後に死去した。