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地裁「仮釈放慎重に」
広島市安芸区で昨年11月、下校途中の小学1年、木下あいりちゃん=当時(7)=が殺害された事件で、殺人、強制わいせつ致死などの罪に問われ、死刑を求刑されたペルー人、ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(34)に対する判決公判が4日、広島地裁で開かれた。岩倉広修裁判長は「極めて悪質な犯行だが、被害者が1人の事案であり、死刑をもって臨むには疑念が残る」として無期懲役を言い渡した。
公判前整理手続きの適用により、初公判から50日のスピード判決となった。
弁護側は殺人と強制わいせつ致死の罪について無罪を主張したが、判決は、内出血が生じるほど強い力で首を絞めた犯行態様から「殺意」を認定し、わいせつ目的や責任能力も認めた。その上で、(1)被害者が単数(2)計画性がない(3)前科がない-ことなどから「矯正不可能なまでの反社会性と言い切れない」とした。
岩倉裁判長は「罪の深さは決して許されず、一生をもって償わせるのが相当」として仮釈放に慎重な検討を求める異例の付言をした。
判決によると、ヤギ被告は昨年11月22日午後、広島市安芸区の自宅アパート付近で、あいりちゃんにわいせつ行為をしたうえ、首を絞めて殺害。遺体を段ボール箱に入れて空き地に放置した。
◇
■「新たな基準」必要
「死刑の適用基準を満たしていると考えても不当とはいえない」。広島地裁の岩倉広修裁判長は、遺族の強い処罰感情に一定の配慮を示しながらも、死刑判決を回避した。外国人犯罪や幼児への性犯罪が続発する中で非人間的な犯罪への厳刑を求める世論が高まっていたが、判決は、従来の量刑基準を踏襲するにとどまった。
今回の裁判では、検察側が論告で「子供が犠牲になる凶悪事件で、従来基準の形式的適用は妥当ではない」と主張。厳罰化の流れの中で、被害者1人でも死刑が適用されるかが注目されていた。
最高裁によると、昭和58年の永山則夫元死刑囚への最高裁判決が、被害者数や動機、殺害方法などを死刑適用基準に挙げて以降、被害者1人の殺人事件で死刑が確定したのは19件で20人。すべてが再犯か、保険金や身代金など金銭目的だった。
今回の判決も結局、この「永山基準」に照らし、被害者が1人で犯行に計画性がないことなどから死刑回避の結論を導いた。一方で、仮釈放に慎重な検討を求める付言をすることで、「永山基準」と「厳刑化」のバランスを取った形だ。
また、今回の判決では、被告のペルーでの性犯罪の前歴が証拠として採用されなかったことも遺族に悔いを残した。
今回の判決について土本武司・白鴎大学法科大学院教授(刑法、刑訴法)は、「幼い女の子を狙った性犯罪が多発する実態を見据えれば、予防的見地からも、裁判所は極刑を言い渡すべきだった」と話す。
最高裁が6月、山口県光市の母子殺害事件で、無期懲役の2審判決を破棄したように、司法の潮流は確実に厳罰化に傾きつつある。裁判員制度の導入が近づくなかで、量刑の判断基準が変わる可能性も指摘されている。
土本教授は「司法を取り巻く状況の変化の中で死刑判決の新たな基準が必要になっている」と指摘している。
「あいちゃん、ごめん。負けたよ」って、あまりにも悲しい・・・
望んでいた「極刑」は得られなかった。父は、無念の思いで心の中の娘にわびた。広島市で起きた木下あいりさん殺害事件で4日に言い渡された広島地裁判決は、検察側の死刑求刑を退け、被告に無期懲役を言い渡した。犯行の悪質さを知らせたいと、父は娘の実名や性的暴行の詳細も報道するようメディアに異例の申し入れもした。死をもって償うべき罪とは何か。子どもを狙った事件が相次ぐなか、判決は重い問いを残した。(c)asahi.com
判決後、被害者の父・木下建一さんは、
あいりさんの写真と一緒に記者会見にのぞんだ
=4日午後4時5分、広島市中区で
木下建一さん(39)は、あいりさんの遺影を携え、妻と一緒に法廷に入った。
「無期懲役」。裁判長が主文を読み上げると、「あいちゃん、ごめん。負けたよ」と心の中でつぶやいた。ひどいことをした被告の姿を二度と見せまいと、娘の写真はこれまでと同じようにハンカチで包んだままだった。
ホセ・マヌエル・トーレス・ヤギ被告(34)は、被告席で持ち込んだ聖書に唇を当ててから証言台に向かった。ざわついた傍聴席をいったん振り返ったほかはじっと前を向き、その後は時折、しゃくりあげるように涙を浮かべ、言い渡しの最後には拝むように両手を合わせて頭上に掲げた。
公判終了後に広島市内で会見した建一さんは、怒りをあらわにした。「最後に犯人がとった不可解な行動は命拾いしたというパフォーマンスで、全く反省していないように映った。私たちにとっては極めて不愉快で絶対に許せません」と語気を強めた。
さらに「今回の裁判は負けたようなものですが、あいりの無念を晴らすためにも、闘い続けていくつもりです」と話し、検察に控訴を求めることも明らかにした。
■ ■
あいりさんを失った悲しみは7カ月たった今も消えることはない。
お菓子を仲良く分け合っていた三つ年下の弟(5)は、いつもお菓子の半分を仏壇に届けるという。「あいちゃんはお星様になったんだよ」と伝えたからか、事件直後は、幼稚園でよく星の絵を描いていた。最近は地球儀を指さし、「あいちゃんはここにいる」と名も知らぬ海を指す。
両ひざに乗せた2人がいっぺんに話しかけてくるのを「聖徳太子じゃないのに」と思っていた母は、「学校まで迎えに行っていれば」との自責の念を抱き続けている。
建一さんも訳もわからず職場で涙を流してしまうことがある。
事件後、報道機関へは談話を出すことで対応してきた。しかし、死刑求刑翌日の新聞で、性的暴行の残酷さが報じられていないと思い、6月下旬、初めて報道機関の前に姿を見せ、性被害の詳細な報道を求めた。
励ましや共感の便りがたくさん送られてきた。性犯罪の被害者からの手紙には「励みになりました。自殺を考えていましたが思いとどまり立ち直るきっかけになりました」とあった。
建一さんは「たった7歳だったあいりの一つの命が多くの人を助けているのではないか。そう思うとあいりの死は無駄ではなかったんじゃないかと思った」と話した。
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記者会見は約20分に及び、終盤は「極刑」を求めていくことを繰り返した。「二度とこのような小さな弱い立場の人間が被害に遭うことがない世の中にできればと思っています」と結んだ。