
「都市計画オリンピックがあったら、山手線と共に間違いなく日本代表です」。藤森照信・東京大教授が太鼓判を押す御堂筋は、1937年に開通。大阪の2大繁華街、キタ(梅田)とミナミ(なんば)を結ぶ全長4.2キロの道路は幅44メートルもあり、4列のイチョウ並木が彩る。
「御堂筋は大阪の背骨。都市インフラの根幹であり、大阪という街を大づかみにする手がかりとして欠かせない」と“建築探偵”の藤森さんは言う。
第7代大阪市長・関一(せき・はじめ)は御堂筋を造り、大阪城天守閣を再建し、大阪の風景を一変させた。車社会到来の30年も前に木造家屋だらけの狭い道を拡幅し、その下に地下鉄まで造る常識外れの構想は、「飛行場でも造る気か」と揶揄(やゆ)された。
33年開業の地下鉄駅も、最初から10両編成を想定した。同時期の東京の銀座線は6両の設計。『「民都」大阪対「帝都」東京』を書いた明治学院大の原武史教授は「人口増を予測した先見性に加え、東京への強烈なライバル意識を感じる」と言う。南北の道を「筋」と呼ぶ独特の文化と共に、「官」の東京に反発する心意気がにじむ。
建築界では、沿道ビルの「百尺(31メートル)」の高さ規制も評価が高かった。95年まで本町以北は高さがそろい、一直線のスカイラインを誇った。宮本憲一・大阪市立大名誉教授は、土地の利用効率を上げようと考えた大阪市の規制緩和に、反対運動をした。
「難波まで見通せた景観を、まず70年に高架の道路で平然と断ち切った。関は『住み心地良き都市』を目指し、安全で衛生的な都市の機能と美観の調和を図ったが、戦後の効率主義は機能だけを追求してしまった」
地価が高くて人の住む場所ではなくなり、自動車だけが走り抜ける。そんな御堂筋が近年、景気の落ち込みにも助けられて変わっている。オフィス街にも飲食店などができ、スーパーブランドが並ぶ南側は週末にはそぞろ歩く人で大混雑する。
御堂筋は幹線の役割を阪神高速に譲り、歩いて楽しい道へ転換が進む。国交省大阪国道事務所によると、平日昼間の歩行者2万5千人は市内の国道平均の10倍近いが、両側の緩速車線のお陰で歩行者の事故は少ない。
人の目を楽しませようと、沿道の大丸心斎橋店は2年前から建物の御堂筋側を年中ライトアップしている。クリスマスにはライト4万個がフル点灯し、ヴォーリズ作の名建築を彩る。松尾誠司・営業推進部長は言う。「業界全体が苦しい時ですが、街のにぎわいをもり立てるのは御堂筋で280余年生きてきた私たちの使命です」(織井優佳)
■推薦
歌手 欧陽菲菲(オーヤン・フィフィ)さん
運命の分かれ道でした
デビュー曲「雨の御堂筋」は、1971年9月5日発売。7月に来日したばかりで日本語は全然しゃべれないし、歌詞には自分だけのフリガナをつけました。冒頭の「こぬか雨」って何かと尋ねると、プロデューサーは「リトル・レイン」と説明しましたよ。
とにかく、ベンチャーズの曲のリズムに乗って歌いました。ミディアムテンポで、激しいアクションはないのに、この1曲で私にパワフルなイメージが定着しました。本人は意識してなかったんだけど。
御堂筋は、私の運命のターニングポイントでした。普通、何年かしたら台湾に帰るじゃない? でも、あのヒットで日本の方々に「フィーフィー!!」と呼んでもらえるようになった。最初は「菲」の字は日本にないから、「韮(ニラ)」の字に変えろなんて言われていたのに。あれから、あっという間に40年近く。すべては御堂筋のお陰です。でも、改めて御堂筋を見たのはレコーディングの10年後ぐらいでした。きれいなイチョウ並木を見て「ああ、なるほど」と、初めて歌詞の意味がわかりましたよ。
〈略歴〉 台湾出身。「雨のエアポート」「ラヴ・イズ・オーヴァー」なども大ヒット。

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