asahi.com:Be on Saturday:フロントランナー
「大企業病」を克服し、初の住宅トップに
大和ハウス工業会長
樋口武男さん(68歳)
長いけど、一気に貼り付け
一月くらい前の、「古本屋のオバちゃん」に続く大ヒットです。
かなり感銘を受けた。
赤文字部は、使い古された組織の法則。
アッシが、下の2割であることは疑いの余地はありませんが・・・
「大企業病」を克服し、初の住宅トップに
大和ハウス工業会長
樋口武男さん(68歳)
長いけど、一気に貼り付け
このシリーズは毎週欠かさず読んでいるが、(c)asahi.com
制振パネルの実験を視察。25年ぶりに開発したプレハブ住宅の新工法で、
さらなる飛躍を目指す=奈良市の総合技術研究所で
創業者が一代で築いた1兆円企業は、かつての勢いを失っていた。業績はピーク時を大きく下回り、上司ばかり見る「ヒラメ社員」が増えていた。
債務超過寸前だったグループ会社を再建した手腕を買われ、01年に社長に就いた。8年ぶりに戻った大和ハウス工業はまさに「大企業病」だった。
創業時のハングリー精神を呼び覚ますため、現場主義に徹する改革を断行した。「赤字は罪悪」が信条だった創業者のくびきを断ち、地価暴落による含み損などを一括処理するため、創業以来初の赤字も出した。
うみを出し切って業績はV字回復。5年間で売上高は1.5倍に膨らんだ。今年3月期に連結売上高で積水ハウスを抜き、初の住宅業界トップに立った。
なにより重視するのは経営のスピードだ。支店長の権限と収益責任を大幅に強化して、土地購入の決裁に必要なハンコを15個から2~3個に減らした。さらに赤字を出した支店長の賞与はゼロにするという荒療治で、「責任地区の社長」としての自覚を持たせた。
剛腕さゆえに反発を買うこともあるが、相手によって態度が変わらない気さくな親分肌で、部下を引きつける。今でも午前7時30分に出社、15階の会長室まで階段を上がる。バイタリティーはいっこうに衰えない。
■ ■
若い頃は、いつかは会社を起こしたいと思っていた。だが大学卒業後、修業のつもりで入った鉄鋼商社は、高度成長の好況で、ぬるま湯だった。そんな時、目にしたのが「猛烈会社 大和ハウス工業」という雑誌の記事。「ここでしごいてもらったらええ」と求人広告を片手に、大和ハウスに飛び込んだ。
入社後はまさにモーレツ社員だった。午後5時に仕事が終わったあとも、遅くまで会社に残り、仕事を覚えた。睡眠時間は4時間しかとらなかった。
36歳の若さで山口支店長に。誰より多く得意先を回り、部下も厳しく怒鳴りつけた。ところが、「後ろを向いたら、誰もついてこなかった」。
部下の心をつかむため、70人あまりの支店員一人ひとりと対話した。「自分の心をまず開けば、相手も本音を話してくれた」。2年目に、山口支店の営業成績は全国一となった。
対話重視の経営手法は、今でも生きている。
■ ■
今、一番の関心事は「新しい事業の芽」を探すことだ。多角化した事業の多くは03年に亡くなった創業者の石橋信夫が自ら始めたものだ。「ともかく先の先を考えてくれ」。創業者が晩年よく口にしたこの言葉が、深く胸に刻まれている。
慶応大の電気自動車「エリーカ」開発や、奈良県立医科大に開いた住居医学の寄付講座など着実に種はまいている。
目標は2055年の「創業100周年に10兆円企業」。トップになっても、夢は大きい。
文・竹中和正
写真・永曽康仁
■心の中にオーナーの一言一句が刻まれている
――業界首位に立って、いい気分なのでは。(c)asahi.com
59年に発売した「ミゼットハウス」が、
今の大和ハウス工業のプレハブ住宅の原点だ
=奈良市の総合技術研究所で
樋口 1位になったり、2位になったり、巨人の全盛時代の王、長嶋みたいに業界にも切磋琢磨(せっさたくま)できる相手がおることは幸せなことだ。ただ、ナンバーワンといっても、戸建て住宅販売では、まだ積水ハウスに水をあけられている。
――売上高が伸びた要因はどこにありますか。
樋口 商業施設と、アパート、マンションの建築が大きく伸びた。商業施設は30年前からやっている。地主さんと、全国展開を狙うテナントさんの橋渡しをして、建築を請け負う。アパートも含め、うちが建築を請け負った地主さんは約7万人、テナント企業も約3800社まで増えていて、他社が追いつけない分野になっている。大型ショッピングセンターの開発も手掛けている。
■100年持つ家を
――マンション建築では初めて業界3位になりました。
樋口 東京や大阪の中心部は異常な値上がりで、ちょっとバブルの気配があり、土地取得がものすごい競争になっている。いい土地を手に入れるには、スピードが大切だ。支店制に切り替えたことで、最短2、3日もあれば土地を買える。
――一方で、戸建て事業は、伸び悩んでいます。
樋口 少子高齢化の影響が一番大きい。戦後間もない頃は、世帯数より家の方が400万戸少なかったが、今は逆に700万戸の家が余っている。業界全体が横ばいか、下を向いていくなか、商品力が重要になる。うちは9月から25年ぶりに新しい工法を導入した戸建て住宅を売り出した。これまでより、間仕切りの少ない部屋をつくれて、窓も大きくできる。耐久性、耐震性も高い。日本はおよそ30年で家を建て替えているが、英国は平均75年だ。100年間は持ち、年々資産価値が上がっていくような家を売りたい。
――今、一番力を入れていることは。
樋口 「創業以来一番苦労したのは人材育成や」と創業者の石橋信夫はよく言っていた。企業の最重要課題だ。
会社では機関車みたいに引っ張る人間が2割、まあまあがんばっとるなという人間が6割、ぶらさがっとるんちゃうかという人間が2割いる。上の2割の人間ばかりを集めても、その中でまた2対6対2になる。もし真ん中の6割から1割を上にあげ、下の2割を真ん中に入れることができれば、最高の会社になれる。
人間が持って生まれた脳細胞はみんな同じだ。いかに意欲を高めるかが問題だ。支店長になりたい社員が立候補できる制度を採り入れるなどして、意欲を引き出している。
――怖い上司の一方で、部下からは慕われてますね。
樋口 オレがカッコつけへんからや。仕事を離れた時は、もう友達みたいなやりとりをする。自分で自分に言い聞かしているんだが、どんな人でもいつかは引退する。一介の素浪人になったときは、隣のおっさんもうちのおっさんも全部同じおっさんや。そんな時に、オレは社長やった、会長やったとカッコつけるやつは全部友達をなくしている。だからメリハリをきっちりつけるようにしないと。
■宇宙から見る
――「心に宇宙論」が座右の銘だそうですね。
樋口 大和団地の社長の時、資金繰りのことで苦労して眠れぬ夜が続いた。そのときに、天国のおやじが枕元に立って、えらいどやしつけた。「宇宙から見たら、おまえのやっていることなんて虫眼鏡で見たって見えやせん。細かいことをぐじゅぐじゅ後ろ向きに考えるよりも、ベストをつくさんかい」と。心に宇宙論を持っていれば、いつでも前向きでいられる。
――創業者もおやじと呼んでいますね。
樋口 晩年は、静養していた能登に毎月通った。一緒に飯を食べ、泊まった。本音で話し合って、経営者の心を勉強させてもらったのは、その4年間やな。オレの心の中にはオーナーとやりとりした一言一句がずうっと刻まれとる。オーナーとの約束、使命を守っていくのが仕事だと思っている。
――創業100周年、売上高10兆円というのが創業者の遺志だそうですが。
樋口 現在やっている事業をめいっぱい伸ばしたとしても2兆5000億円止まりだと思う。その先に行くためには今から先の先を考えていないと間に合わない。テレビも、月へ人が行くのも、もとはマンガのような発想だった。だから、夢を持つことが大事だ。チャレンジしなければ何も出てこない。
――大阪発祥の企業の多くが東京へ本社を移した。東京移転の計画はありませんか。
樋口 絶対ない。大阪で生まれ、育った企業やから、大阪の発展に思い入れがある。胸を張って本社は大阪ですと言いたい。人口や市場規模は東京の方が大きい分、営業などの戦力は、それに見合った人員を配置したらいい。ただ、これだけ通信が発達しているのだから、本社はどこに置いても同じだ。
◆ 転機 ◆
■「進駐軍が来た」と陰口をたたかれた
大和ハウス工業の専務だった93年3月、突然、創業者の故石橋信夫相談役に呼ばれた。
「頼みがある」と切り出されたのは、グループ会社で宅地開発などを手がける大和団地の社長就任だった。バブル崩壊のあおりを受けて売上高の2倍の借り入れを抱え、債務超過目前の会社だった。
大和ハウスの専務として充実した時期でもあった。「勘弁してください」。思わず断りの言葉が出た。だが、「おれが昨日や今日の思いつきでいうとると思っとるのか」と烈火のごとく怒った。「男冥利(みょうり)です」と答えるしかなかった。
約900人の社員の気持ちはすっかり疲弊していた。しかも、生え抜きの社長が引責辞任したあと、筆頭株主だった大和ハウスから新社長が乗り込んできたのだ。「リストラの上、会社を清算されるのか」と社員の不信感は強く、「進駐軍が来た」と陰口をたたかれた。
「社員の意欲を引き出さないとだめだ」。思い出したのは、部下との対話を通して心をつかんだ山口支店での経験だった。一対一の面談や10人前後のグループで、懇談会を開いた。朝は8階の社長室まで歩いて上がり、各階に立ち寄って自分から社員に声を掛けた。廊下にある喫煙コーナーも絶好のコミュニケーションの場になった。
一方で、社内改革は大胆に推し進めた。販売力強化のため、支店を3倍に増やした。業績不振の支店長は交代させ、社内を歩いて目をつけた優秀な人材は、36歳の若さでも起用した。
急激な変革について行けず、1年間で120人近くが辞めたが、残った社員の結束は強まった。業績も好転、2年目には黒字に転換した。
大和団地で骨をうずめるつもりだったが01年、今度は大和ハウスの社長就任を命じられた。「君の宿命やと思ってくれ」。大和団地へ送り出す前に創業者の言った言葉の意味が、今は分かった気がしている。
38年 兵庫県尼崎市生まれ
61年 関西学院大卒
63年 大和ハウス工業入社
74年 山口支店長
93年 大和団地社長
01年 大和ハウス工業社長
04年 会長
05年 大阪商工会議所副会頭
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
★業績 本社・大阪市。06年3月期の連結売上高は1兆5289億円、経常利益1030億円。
★家族 妻と息子1人、娘2人。孫は2人。自身は祖母に厳しくしつけられたが「ワシは孫にあまいわ」。
★趣味 ゴルフは年間70回ほど行き、ハンディは9。小学校の同級生とカラオケや食事に行くのも最近の楽しみのひとつ。
一月くらい前の、「古本屋のオバちゃん」に続く大ヒットです。
かなり感銘を受けた。
赤文字部は、使い古された組織の法則。
アッシが、下の2割であることは疑いの余地はありませんが・・・
PR