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阪神大震災:終わらない震災
東灘の加賀さん、初孫の最期を語り継ぐ/兵庫
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まさに、がんばろうKobe,
まだまだ続く。
阪神大震災:終わらない震災
東灘の加賀さん、初孫の最期を語り継ぐ/兵庫
◇「おじいちゃん。苦しいよ」 忘れたい、でも忘れられない
阪神大震災で壊滅的な被害を受けた神戸市東灘区森南地区に住む加賀幸夫さん(73)は12年前、初孫の桜子ちゃん(当時6歳)を目の前で失った。「おじいちゃん。苦しいよ」。最期の言葉が今も耳から離れない。十三回忌を迎えた今年の1月17日には、震災後に生まれ、桜子ちゃんと同い年になった弟亮(たすく)君が、地域の追悼行事で鎮魂の祈りを捧げた。今は亮君の成長を楽しみに生きる加賀さんだが、それでもこう話す。「忘れたい。でも忘れられない」。被災者の震災は決して終わることはない。【竹内良和】
◇満月
森南地区は震災で1500世帯のうち約7割が全半壊し、80人以上が死亡した。満月に照らされた「あの日」。加賀さんは自宅1階で妻和子さん(75)と桜子ちゃんと川の字になり眠っていた。
いつも明け方に寝返りを打ち、2人の真ん中に来る桜子ちゃんは風邪のためか壁際に寝たまま。突き上げるような揺れと共に、壁の下敷きになり、6年3カ月の生涯を終えた。生き埋めになった加賀さんと和子さんは近所の人に助け出された。
悲しみや怒りをぶつける相手が見えにくい自然災害だけに「自分を責めるしかない。何であそこに寝かせたのか。今でも私が殺したと思っている」と加賀さんは話す。
◇区画整理
被災1カ月。車庫で生活する加賀さんら住民に、市は区画整理計画を突きつける。計画では自宅が道路になることになっていた。「桜子の思い出の土地が踏みつけられる」。加賀さんは住民代表として、市に見直しを求めて交渉にあたった。
住民運動や避難生活で多忙な日々を送る中でも悲しみにさいなまれ、毎晩、酒を飲んだ。会食の席で、何度も孫の自慢話をされ、大人げないとは分かっていたが、席を立ったこともある。幼い子を見るのも辛かった。
「元気を出せよ」。ある夏の夜。うつむきながら歩いていると、道行くバスの窓から声をかけられた。ボランティアで交流のあった知的障害を持つ子どもだった。「俺はそんなに落ち込んでいるのか」。自分を奮い立たせるきっかけになった。
95年の震災の年に、区画整理による取り壊しを覚悟で「桜子の誕生日までには」と自宅を再建。誕生日の10月6日、完成直後で電気も通わない新居に入った。「部屋は真っ暗でしたが、この日に入りたかった」と桜子ちゃんの母翠さん(51)は振り返る。
◇学習机
震災から12年。亮君は6歳になった。「この子は桜子より6カ月長く生きている。10歳になるまで私は生きないと」と加賀さんは言う。原爆で亡くなる広島の親せきに会うため、汽車に揺られ初めて一人旅に出たのが10歳の時だったからだ。
桜子ちゃんの死と向き合いながら生きてきた一家。亮君に姉の存在を伝えるだけではなく、「震災体験を後世に引き継ぎたい」と加賀さんは小学校でも子供たちに、桜子ちゃんの最期を話している。
震災後、遺品はがれきの中から一つ残らず拾い集めた。春に小学校に入学する亮君の部屋には、少し古びた学習机が置かれている。桜子ちゃんが使うはずだった机だ。
「どうやって悲しみを乗り越えたんですか」との問いかけに加賀さんはきっぱり答えた。「乗り越えてません。死ぬまで引きずるんやろうな」。今も寒空に浮かぶ満月の夜が一番つらいという。
震災12年。整然となった森南地区のまち並みからは、震災の爪痕は見つからない。だが、遺族の心の傷は、はっきりと刻まれている。
〔神戸版〕
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